サイクリングエッセイ Hirobee's A day in the life

北摂里山のサイクリングとひろべぇの平凡な日々を綴ります。

COLNAGOお使い練 (チューブラタイヤはパンクしても走れるか?)

僕が子供の頃は、男の子がいる下町の家庭には、野球のバットやグローブが一つや二つはあるのが普通でした。

そして男の子供が2人いたウチの家にもバットとグローブはありましたが、末っ子の僕には自由にさわれないものでした。

父が早世した事もあり、また小学生の頃身体が弱かった僕は、野球も運動も苦手な子供で、中学生になって元気になってからも、サッカーやバレーボール、バスケットボール等の球技のほうが好きでした。

高校になってもハンドボールをクラブ活動に選びましたから、ホントに野球はずっと苦手で、今考えても、ハンドボールより小さい玉を扱う球技は全て苦手ですね。

社会人になって、結婚したころから、ラグビー観戦が好きになりました。

その頃は松尾雄二曳る新日鉄釜石の全盛期、その後、昨年惜しくも早世された平尾誠二さんが、同志社神戸製鋼と活躍されて、大学も社会人も関西ラグビーの全盛時代でした。

話は変わって、僕は職人仕事をしていたのもあって、もう30年ほどずっと軽自動車を愛用してきました。
2トン半くらいまでののトラックは運転できますが、大型の乗用車は苦手です(笑

軽自動車のナンバープレートは黄色ですが、貨物車に乗っていたころは特に気にもならなかったんですが、最近、軽の乗用車に乗るようになって、黄色のナンバーってチョットダサくていややなぁと思う事もありました。

そんな折、この春に、こんなものを見て申し込むことにしました。
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ラグビーワールドカップ日本開催のお蔭で、軽自動車にも白ナンバーを付けられるチャンスが来たんです。

早速ネットから申し込みました。

その受け取り期間の終了日が、迫ってきたので、この火曜日に自家用自動車連合協会、高槻事業所と言う処まで、受け取りに行ってきました。

自動車で行くなら、事業所まで行き、そこでナンバープレートを外し、新しいものに交換してもらう訳です。(取り外し、取付はもちろん自分でやります)

場所を検索すると、淀川の枚方大橋の北詰なので、何時ものサイクリングコース。
自転車で行ったほうが早いなと思い、何時もの神崎川から淀川に出て、右岸を高槻市の芥川を越えたところまで行ってきました。

丁度COLNAGOマスターを少し弄ったので、その試乗も兼ねていました。

関西は梅雨入り宣言後も空梅雨で、このところの朝晩は肌寒いくらい。
昼間も27,8度の気温でカラッと気持ちの良い日が続いて、サイクリングには気持ちの良い日が続いています。

この日も、午後から出たのですが、暑さもそう気にならず、調子よく神崎川を抜け、淀川河川敷に出て、あとはずっと右岸を遡るのみ。
ゆっくり走っても1時間半くらいで着ける算段でした。

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ところが淀川河川敷に下りた途端に、後輪に違和感。久々のパンクの神様降臨!

パンクしたチューブラータイヤの後輪はまだそんなに使い込んでいなかったのですが、2ミリくらいの穴が開いていたので、もう廃棄処分でバッサリ、カットして剥がしました。
(こまめな方はチューブラータイヤでも、縫い目をほどき、チューブを出して修理するそうですが、そうとうの根気とヤル気と技術が無いと出来ません。)

予備タイヤを入れてCO2ボンベでエアー充てん。10分ほどで完了!・・・したのは良かったのですが、いつもは念のためにハンディーポンプも持って走るのですが、この日はそれを忘れ、おまけにサドルバックに入っていた予備タイヤは、ボロボロの古タイヤだった。

う~ん、ちょっと不安やな、家に戻るか、このまま行くか、場所は行程のちょうど中間あたり。(と言っても往路の中間、復路を入れると4分の3残っているわけで。)

しかし2,3分様子を見ても、古タイヤはボンベ1本の充てんで、結構カンカンにエアーは入っている状態を保ち、何とか大丈夫そう。このまま進むことにしました。

芥川まで右岸の河川敷を走る、鳥飼大橋から右岸を上流に走るのは初めてです。
いつもの鳥飼大橋を渡り、左岸を走るより、イヤミな車止めも割と少なく、こちら側のほうが、歩行者も少なく、走りやすいなと感じました。

ゴルフ場を過ぎ、芥川をちょっと遡って堤防に上がり橋を渡り再び淀川の堤防道路に出ると枚方大橋のすぐ手前の堤防下に、事業所がありました。

ここはどうも軽自動車の車検場を兼ねているようで、結構な車と人で賑わっていました。

事務所内も混んでいましたが、すでに申し込みから、書類の記入、手数料の支払い手続きまで、全てネットで済ませていたので、列に並ぶことも無く、10分ほどで新しいナンバープレートを手にする事が出来ました。

気持ち良く手続きが済み、足取りも軽く来た道を走っていましたが、神崎川に入る手前くらいから後輪のエアーが減っているのを感じるようになりました。
やはり古い予備タイヤは、どこかでスローパンクしていたようです。

神崎川に入って、エアーはかなり抜け、タイヤは腰砕け状態。
しかし何とか、真っ直ぐな道なら、かろうじて走れました。

愈々ペッチャンコになったら、CRを走っているローディーさんにポンプを借りる算段。しかし、平日という事もあるのか、こんな日に限ってローディーさんと出会わない。
所々の上り坂では後輪のグリップがないのを感じ、だましだまし、走りましたが、速度は控えめに、しかし休憩はなしで、何とか家まで帰り付く事が出来ました。

以前、近所の猪名川河川敷でパンクしたさいに、エアーの全く無い、ぺったんこのチューブラータイヤでウチまで5㎞ほど走って帰った経験もあって、最後はなんとかなるやろうと言う、心細くも、頼りない自信もあったんです。

走行距離49,8㎞、走行時間2時間28分、AV19,9㎞/h でした。

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今日はそのホィールからタイヤを剥がし、接着剤のテープカスを除去。

外したホィールは、アンブロージオのネメシスリム、レコードのハブと、DTチャンピオン14番で手組した、少々重いが、非常に頑丈なホィールです。
このリムなら、エア無しでも100キロくらいは走れそう!(笑)
(手と尻と頭が振動で持たんかな~?)
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他に、先に使ってしまわないといけないタイヤを貼ったホィールがあり、こいつはしばらくはタイヤは貼らず、仕舞っておく事にします。

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マスターには、エサメキシコに使ってた、カンパのハブとOMEGAのリムで組んだホィールに10速カセットを移し、使う事にしました。

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エサメキシコにはシマノ7700ハブとアラヤADX-1で手組したホィールに、シマノの9速カセットを入れて使う事にします。

9速コンポは、リヤディレイラーの調整のみで、シマノ、カンパで共用できるのでとても便利です。(現行の11速カセットも多分共用できそうやね。噂のリヤ12速なんて、僕にはもうくそくらえやな~)

『チューブラータイヤはスローパンクしても、何とか走れる』と言う事がただ言いたかっただけの、長いお話しになりました。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。