サイクリングエッセイ Hirobee's A day in the life

北摂里山のサイクリングとひろべぇの平凡な日々を綴ります。

◎ 盛夏、 暑中お見舞い申し上げます。

暑中、お見舞い申し上げます。
 
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シャンゼリゼの最終日のゴール後、表彰式も終わり、ほっとしてくつろぐ選手たち。(シクロワイヤードより無断でいただきました)
 
 ツール中は深夜のテレビ中継の観戦三昧で、全く自転車には乗らなかった。ツール・ド・フランスは特に沿道の景色が美しく、TV観戦するのが楽しみである。 全般にスポーツ観戦は好きだが、自分自身は全くレース志向な自転車乗りでは無いので、酷暑の下では走りに出る気になれず。ここ数年はこんな夏の過ごし方が続いている。
 
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 加えて今夏は、ともに90歳を越した家内の両親の退院後の介護の手続き、主治医の指定(主治医探しと訪問介護など)、リハビリ、自宅内の手摺設置工事や生活環境の見直し。また、退院後の生活が一通り順調に落ち着くまで見守る必要があった。
 それらすべてを、暇の在るボクに任されたので、仕事も時々はしながら、何かと忙しいひと月であった。
  
 親として、子供が生まれて成人するまで、子育てと言うものには計り知れない希望と喜びがあるが。
 子として、人生の終盤を迎えた親の介護と言うものを終えるのは、親の死を迎えた時である。 
 必ずやってくる、何年か先の事を思うと、楽しいことは何も無いが、少しでも笑いながら人生の最期を迎えられるように微力でも手助けしてやりたいと思う。
 
 つい先日も、近くの老人ホームに居る、今年97歳になる私の母の顔を見に訪れると、珍しく機嫌が悪く、いきなり「家に帰りたい」と泣き出されて困った。
 母の言う その『家』というのは母が生まれた三重県の山家の里の事なのである。 母の頭の中には大阪で暮らした70年余りの間の家の思い出はすでに消えてしまっているのである。
 そして、この山里の家の話をしているあいだは、私は母の兄弟と言う存在になってしまっている。
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北摂、柏原の山家
 
 私が母の里を訪ねたのはたった一度、父が亡くなる少し前だったから、もう50年前の幼児の頃。今は三重から奈良に抜ける道路は立派に整備されたようだが、母の兄弟は既に皆、鬼籍に入ってしまい、母方の親戚とは交流も無く、今も母の里の家が其処にあるのかどうかさえ、定かで無い。
 
 両親の名は何とか覚えているが、7人もいた兄弟の名はもう一人も思い出せない母が、この山里の住所はすらすらと述べる。
 三重県 多気郡 勢和村(五ケ谷村)朝柄・・・・・と。
 
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篠山、後川(しっかわ)にある農家。50年前に訪れた、私の微かな記憶に残っている母の山家の里に雰囲気が似ているように感じる。時々、サイクリングの途中で訪れては、しばし、眺めいってしまう。
 
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 秋になったら、自分のルーツの旅と言うほど大げさなモノではなく、母の三重の山里を半世紀ぶりに訪ねてみようかなと思っている。 その折は車に自転車を積んでって、少しでもその山里の辺りを自転車でぶらぶらと走れたらいいなと、今、空想しているところである。