サイクリングエッセイ Hirobee's A day in the life

北摂里山のサイクリングとひろべぇの平凡な日々を綴ります。

京都国立博物館~真如堂~YAMATOYA その2

東山七条の京都国立博物館を出て、車に戻って東大路を北上する。
今日二つ目の目的地、家内と京都へ行く折はよく訪れる真如堂へ向かう。

七条から、五条、四条を過ぎる辺りは京都東山の一大観光地。
道路も渋滞していて、観光客で溢れている歩道につい目が行く。

最近は、『レンタルの着物を着付してもらい、半日の観光を楽しむ』といったことが流行っているようで、三条東大路あたりにも、そういうお店が在り、若い方で賑わっていた。 
歩道を着物姿で歩いている方もけっこう多い。その歩き方を見て一目、自前ではないなと判る着物姿の若い方を多く見かけた。そのほとんどの女性は大股で闊歩していらっしゃる。(笑)
しかし、これを切っ掛けに和服に興味を持っていただければ大変結構なことであるが。

家内は義母の着物好きもあり、着物を自分で着れる女性だが。
『まだ単衣を着ている子はさすがに居てへんねぇ、今日は雨上がりに日が差して蒸すから、袷せでは少し暑くて、着物を着なれない若い子はちょっとしんどいかもしれへんわね』と言う。
最近は、五月でも25℃を越えるような暑い日があるので、着物好きの方々の中には、暦にかかわらず工夫して単衣の着物を着る方もいらっしゃるらしい。

三条を過ぎると車はスムースに走りだし、丸太町から吉田山の南麓を白川通りに出て、市営バス錦林車庫を過ぎると、白川通りの東側一帯は観光客で賑わう『哲学の道』。

僕らはそちらには行かず、白川通から西へ入り、小さな川を渡り、吉田山の細い山道を登りきると、僕ら二人の思い出の地、真如堂の山門の前に出る。
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吉田山は黒谷さんや、真如堂塔頭が立ち並ぶ寺院の丘。

いつ来てもこの吉田山あたりはほとんど観光客はいない。ひっそりとした京都本来の寺町の姿を残している。

境内で見かける方は、塔頭に住んでいる家族の方、近所の散歩の方、木陰で読書の方、北麓の京大生らしき、若い学生さんが散策する姿も時々見受けられる。

この丘の上には、あまりお店も無いのだが、門前にただ一軒自販機の置かれた駄菓子屋さん(昔は門前茶屋だったのだろう)がある。
ここも昔のままで、ここでよく山椒の利いたあられを買って、食べたっけ。

車に乗ったまま山門をくぐると、10台ほど止められる駐車場があり、タクシーや参拝客はここに車を止める事が出来る。京都らしくない、今では数少ない寺の一つでもある。
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境内は青葉紅葉の新緑の季節、
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その楓の枝々には、翼果が色づき鈴なりに付いている。
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本堂にお詣りする前に訪れる場所がある。
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もう35年ほど前になるだろうか、真如堂の片隅に在るこの小さな庵は昔、女子寮として一般に貸し出されていて、三畳から四畳半の襖で仕切られただけの狭い小部屋に家内は5年間ほど住んでいた。

僕は時々京都に彼女を訪ねては、このあたりを二人で散策したものである。

鬱蒼とした木立の境内の中の庵は、夜中にムカデが出たり、横の墓場で話し声がしたりすると、女子ばかりの庵は、時々大騒ぎになったそうだ。

最近までは彫刻家のアトリエの表札が掛かっていたのだが、この日は人気が無く、最近空き家になったことを示すように、電気メータに電気を止めた札がぶら下がっていた。







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三重塔の横の手水で手と口をすすぎ、本堂に参拝する。
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本堂の前には大きな菩提樹が植えられている。
家内が昔に比べると、かなり大きく高く育ったという。
40年も経ちゃあ、木もそりゃ大きく成るわいなとボク。

菩提樹は釈迦が樹下で悟りを開いた木、中国から仏教と共に伝わったと聞く。
葉の裏には、もう一杯蕾をぶら下げていて、6月にはその花のいい香りが境内中に立ち込めるのだそうだ。
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靴を脱ぎ、本堂の中に入ると参拝客を相手の係員の方がいるが、いつ訪れても、参詣料など請求されることも無く、心ばかりの賽銭を喜捨し、手を合わせるだけなのも昔のままだった。

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本堂横の『縦皮(たてかわ)桜』、春日局が植樹したものと伝えられている。
大きな洞の開いた江戸彼岸の桜の大木だったらしいが、一度倒れ、今立っているのはそこから生えた、ひこばえが育ったものらしい。
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吉田山の丘の東端に立つ、修道場の裏に東山が覗く。
入ったことは無いが、道場の裏庭からはたぶん東山の絶景が望めるんでしょうね。

カエデ(紅葉)の実はまだ色づいたばかりで枝についたままだが、一本だけある大きなハナノキの廻りに、実がいっぱい落ちていた。
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楓の実とそっくりの翼果をいくつか拾い、手に取って放り投げるとくるくると回りながら遠くに飛んで実を散らす。
一見、その葉はカエデの葉には見えないが、ハナノキは、カエデ科の木で、普通の楓とは葉の形は少し違うが、実はそっくり似ている。
春先に葉の無い枝先に小さな花をたくさんつけるのでこの名があるそうな。
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珍しい種類のウツギもいくつか植えられ、ちょうど花が咲いていた。
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ウチにも和種の姫ウツギは一株あるが、まったく葉も花も形を異にする。
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フランス産のウツギを初めて見た。
ある塔頭のご住職が熱心にこれらを植え、お世話をされているらしい。
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本堂の裏にはこのご住職によって、アジサイもたくさん植えられ、来月には一面咲き誇るだろう。

ゆっくりと境内を散策していると、時計は17時を過ぎた。
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この日は最後にもう一軒、訪ねたいところが在った。
吉田山から再び白川通りに下りて、丸太町から東大路に出る交差点の小さなコインパークに駐車、堀川端から裏小路に入るとジャズスポットYAMATOYAが在った。
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此処の住所は、
〒606-8392 京都市左京区熊野神社交差点東入ル2筋目下ル 
京都らしい住所表記ですね。

ここも40年近く前に数回、二人で訪れたことがある場所で。ジャズファンには良く知られたお店であった。
実はもう僕も家内も、此処の事はすっかり忘れていたのだが、良く立ち寄らせていただく、サイクリングとジャズ好きの topcymさんのブログの記事で、此処がまだ在ることを知った。

次に京都を訪れた際は二人で是非立ち寄ってみたいと思っていた場所。
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建物は新しく、最近立て替えたのか、ボクの微かな記憶に在る建物とは雰囲気が違っていた。
topcymさんのブログの画像を見た際は、昔とは別の場所ではないかと、そんな気さえしたのだが。
今回、京都らしい裏小路に在る、お店の廻りの風景を自分の目で確かめて、昔の記憶が蘇った。 店の向かいの家の白壁といい、此処は40年前の場所と同じだったと確信した。

店に入ると、奥の席は先客が数人居て、カウンタ前のピアノとスピーカに囲まれた特等席に座り、美味しいコーヒを頂いて、1時間ほど店内で過ごした。

大出力のアンプと、骨董品の大きな家具のような大容量スピーカから、
程よく絞られた音量で流れ出ずる、JAZZサウンドが耳に心地良い。
LPレコードの溝を辿る針の微かな音。
これこそ、まさに正しいジャズ喫茶の音やなぁと、二人で悦に入った。

カウンターの中のマスターは僕よりお年を召していて、ボクの記憶はお顔をよく覚えていなかった。
お給仕してくれたのは、お二人の会話の雰囲気から察するとマスターの娘さんだろうか?
お話をちょっと伺うと、今の建物は2年ほど前に立て替えたとのこと。
表の壁は今はタイル張りだが、昔はレンガ造りだったこと。
店内は、拘って、ほぼ昔の雰囲気のままに再現したと言う。
たしかに店内の渋いグリーンの塗り壁の色は、昔のままの様に感じた。
お向かいの壁は昔から白壁でしたと・・・。

帰ってからホームページを見ると、『1970年、3月3日京都・左京区でjazz spot YAMATOYAがスタート。2013年3月1日にリニューアルオープンしました。』とありました。

僕らが帰る間際にも、ドアが開き、お一人でザックを肩にした年輩の方がこくりと会釈をされて入って来られ、カウンター席に座られた。
ニコニコしながら、きょろきょろと店内を眺めておられる。
どうもご常連さんではなさそうだ。
この方もまた、有名なこの店を訪れるために、京都に来られたジャズファンなのは間違いないなと僕は感じた。

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シャツの胸ポケットに、真如堂で拾ったハナノキの実を入れて持ち帰った。

よくよく見れば、一つ一つがトンボの羽のような美しい実。

芽が出るかどうかは判らないけど、微かな期待をしながら、撒いてみようと思う。




追伸


高石ともやの曲に『街』という曲があります。
”京都の地名を入れずに京都の歌を作って”とリクエストされ、できた曲とか、
ボクの好きな森山良子と二人で歌っているシーンがありますので、
もし、よかったら聞いてみてください。