サイクリングエッセイ Hirobee's A day in the life

北摂里山のサイクリングとひろべぇの平凡な日々を綴ります。

☆ クリスマスの夜に想ったこと

 先日、キリスト教徒でもないのにクリスマスに浮れているのはどうかなと思う・・・と言うようなことを書きました。 
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 しかし、そんなボクにも子供の頃、楽しいクリスマスイブを過ごした思い出はあるのです。たぶん小学校の4年生の頃、ちょうど父が亡くなった翌年くらいだったのではないかと思います。
 
 ボクは6人兄弟で上3人とは母が異なります。来年97歳になる僕の母は先妻が亡くなった後に入った後妻で 末っ子のボクと長男、長女とは歳が十五も離れているのです。 ある年の12月の暮れに、お姉ちゃん(長女)が音頭を取って、我が家で初めてクリスマスパーティーを開いてくれたのです。 居間の天井から折り紙で折った飾りをいっぱいぶら下げて、デコレーションケーキを切り、チョコレートやお菓子のプレゼントをクリスマスソングを歌いながら皆で手回し、歌が終わったときに持ってたのが自分のプレゼントだった。今でもそのときの楽しかった記憶が鮮明に残っています。
 
 しかし姉とのクリスマスパーティーはその年一度きりでした。 翌春、お姉ちゃんは父の里の三重県津市に縁あって嫁入りしてしまったんです。ボクは幼かったので姉の縁談の事は何も知らされないまま突然、姉が居なくなってしまい。兄弟が6人も居たので下の兄弟たちが姉の結婚式に呼ばれることもありませんでした。
 
 姉は長女らしく、しっかり者で優しくて。我が家では太陽のような存在でした。ボクは泣き虫の甘えん坊の末っ子で、母は父が亡くなってからは働きに出ていましたから、学校から帰っても、すぐ上の三男の兄とケンカばかりして泣かされているような毎日でした。 お姉ちゃんがいなくなった我が家はボクには火が消えたようで寂しかったですね。 
 
 今思えば、お姉ちゃんがクリスマスパーティーを開いてくれたのは、翌年嫁いでいく自分と家族とのお別れパーティーとして開いてくれたのかもしれません。
 
 三年前に、すぐ上の兄が長い闘病の末に亡くなったとき、通夜の斎場で、ボクと姉の2人で夜伽に布団を並べて寝ながら一晩、語り合いました。 ボクが大人になってから、何度か姉の家には遊びに行きましたが 子供の頃からの、そして嫁に行ってからの空白を埋める話をしたのはこのときが初めてでした。 いろんな話をしましたが。 いちばん驚いたのは姉達のお母さんが突然死だったことで、いつも姉と一つのお布団で寝ていたお母さんが、ある朝、姉の横で冷たくなって亡くなっていた。と言う話をはじめて聞いたこと。
 末っ子のボクは呑気にも中学生の頃まで、兄、姉達と母が違うことすら知らなかったのです。 父が死んでから居間に仏壇が置かれていましたが父の位牌の横にもう一つ別の位牌があったのですが そのことを見ていながらも子供の僕は関心が無く、特に気にも留めていなかったのです。僕がそのことを知るまで、そんな話題が日常生活の中で交わされた事も僕の記憶の中にはありませんでしたし。長男も姉も下の兄弟には優しく良く出来た兄姉で今でも二人には感謝の気持ちで一杯です。
 
 姉は結婚してからもいろいろと苦労したようですが、2人の子を育て上げ、今は2人の女の子の孫が居て、そのうち曾孫の顔も見れるでしょう。 十年ちょっと前に乳癌が見つかりましたが手術後の経過は順調で今も元気で明るい性格はそのまま、最近はあちこちに出かけて淡彩の風景画などを描いてみたりして、60を過ぎてから嗜んだにしてはナカナカの出来栄えで驚いたりしました。 ボクには姉は今がいちばん幸せそうに見えます。